束の間の退院。横浜に通う日々。そして…
恐ろしい病魔に対して、無知だった私たちは退院出来た事がとてもうれしく、
それはとても輝かしいものでした。
私たちはどんな時でも、前向きに考える性格だったのです。
(言い換えれば自分たちの都合のいいようにしか解釈しない性格かな・・・)
でも、その考えが甘いことを思い知ることになりました。
退院して2週間目の検査から戻った主人はどことなく元気がありませんでした。
「肝臓の腫瘍が少し大きくなってるみたい・・・」
どうして!?
私はその日から、今までに無い不安に襲われました。
もしかしたら・・・・・
私以上に主人はもっと苦しく、不安、そして恐怖を感じていたと思います。
でも、主人も私もまだ大丈夫!まだチャンスはある!そう思うようにしました。
そして、がんばろうと。
インターネットやテレビ、書籍など、ガン治療法についてありとあらゆる事を調べました。
ガンに効くと言われるものはすべて試しました。
知人の紹介でテレビなどに出ておられる先生のクリニックを紹介してもらい、
大阪から横浜まで2週間に1度、1泊2日のペースで通いました。
まだ小さい長男は連れて行けないので、母に預けて。
思い出します・・・初めて横浜に行き、院長から「がんばってみましょう!」と言われ
二人とも希望に満ちて帰ってきたこと。
その頃、離乳食の足しにまだ母乳を飲んでいた長男(9ヶ月)。
横浜に行く日はおっぱいをあげられないので、私が家につく頃にはおっぱいが
パンパンに張っていました。
だから私が横浜から帰って来てまずすることは、息子におっぱいをあげること。
それからも、何度か横浜に通いましたが、良くなる気配は感じないまま、
12月、長男1歳の誕生日!みんなでお祝いしました。
毎日バタバタして、1年間ゆっくり子供の成長を見ることもできず、
一番かわいい時期を詳しく覚えていないのが残念ですが、
息子は気がつけば大きくなっていました。
とにかく、退院してからの3ヶ月の間に、私たちは今まで行ったことのない地方へ
治療のため行きました。
岐阜の病院、静岡の病院など。新幹線の中で泣いた事もあったけど、いつも二人でした。
平成15年1月、取引先の会社に誘われていた慰安旅行でサイパンへ。
体調があまり良くなかったので心配でしたが、本人にはいろいろ思うことがあり
決断したのだと思います。
長男を抱っこしてきれいな海に入れてくれました。
・・・それから急激に病気は進行し、平成15年3月8日主人は天国へ・・・
あまりにも突然にやってきた出来事に対して、何も知らないながらも
必死でがんばった9ヶ月でした。
主人は最後まであきらめず本当によく耐えてくれたと思います。
主人自身、してほしい事や、言いたいことはもっともっとあったと思うけど、
まだ赤ちゃんだった長男や私の事を考えて、
「無理するな」
「子供の様子はどないや?」
わがまま1つ言いませんでした。
まわりの人や家族のみんなにも本当に助けてもらいました。
私一人ではとても・・・
私が不安な顔をすれば、主人がもっと不安になるだろうし、
まわりのみんなも心配する。
だから、泣けない。泣くところは車の中とお風呂。
病院の帰り道、会社の帰り道、車の中でよく泣きました。
おかげで私自身、本当に強くなれたと思います。
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